“輪島の朝市”や“和倉温泉”と聞いて、人気の観光スポットと答える読者の方は多いだろう。
「それじゃあ、能登半島はどこにあるか?」と訊かれ、即座に「ここ!」と日本地図を指さすことのできる人は少ないのじゃないだろうか。日本海に近い所とか、北陸地方だと聞き覚えがあっても、意外と解らないのが能登なのである。
ちなみに、能登の位置は北陸屈指の観光地である金沢のすぐ北側。ほら、親指を立てたような半島があるでしょう。
これが能登半島で、その先っぽが「秘境・奥能登」と呼ばれる場所だ。
3年前に僕が初めて能登を訪れたのは、マグニチュード6.9の大地震から復興した輪島の取材仕事だった。
能登半島に一歩足を踏み入れると、車窓に映る山並みは、あたかもアニメ映画「もののけ姫」に描かれていた日本の原風景といった雰囲気に変わっていく。ブナやクヌギなどの雑木が鬱蒼と生い茂り、その深い森が車に覆いかぶさってくるようだった。
地震の影響を引きずってか、輪島の朝市は観光客の減少で、人影もまばらだった。ところが! 売り子の地元のかあちゃんたちはすごぶる元気で、被災の影などみじんも見せない笑顔で屈託がない。いや~、海の女は強いのである。
彼女らは僕とカメラマンを取り囲み「食ってけ!」「買ってけ!」といぢり回して、日本海トレトレの焼き魚や干物、お手製の珍味を惜しげもなく食わしてくれた。
おかげで、お昼前だというのに胃袋は白旗寸前! しかし、朝市の目玉ネタとしてな~んか物足りない。
「う~む……これぞ究極の能登の珍味てのが、ないかなぁ」
そうつぶやく僕の背中をバッチーン! と叩いた一人のお母ちゃんが、「これだ!」と茶色い塊を押し付けてきた。
見てくれはジャガイモのようで、表面がベッタリとしていて不気味な感じ。かすかに酒粕のような匂いがする。
「これは、フグの卵巣。普通に食べたらポックリ! あの世行きなんだよ。だけど、おらたちが調理して、糠(ぬか)に2年以上漬け込んでるから大丈夫だ。ほれ、食ってみな」
うへぇ! そいつは、なんとトラフグの卵巣の糠漬けだった! しかも卵巣はテトロドキシンって猛毒がたっぷり含まれていて、必ず捨てる部位のはずだ。
お母ちゃんは「糠の発酵力で毒が消えるの。それに私は、石川県のフグ調理免許を持っているから大丈夫だ!」と胸を張ったが、「あっ!あっ! いやぁ~、まいったな。おい、お前が食ってみろよ」とカメラマンを振り返れば、すでに脱兎のごとく逃げ出していた。
僕はえ~い、ままよ! と覚悟を決めて、ニヤニヤしているお母ちゃんの手から一切れいただいた。
ところが、これが糠の香りに、ほろ苦さと辛さが渾然一体となって、酒肴に抜群だと直感した。
感心しきりの僕に、お母ちゃんは「その先に酒蔵があっから、こいつと能登の地酒で一杯飲んでみな。たまらないぞ~!」と朝市通りの先にあるゆかしい雰囲気の町屋を目で指した。
その小さな酒蔵を覗くと地震の爪痕が、いまだに痛々しく残っていた。
蔵のしっくい壁がはがれ落ち、梁や柱も傾いた状態にありながら、酒蔵の女将さんは突然に訪問した僕たちを手厚くもてなしてくれた。
「フグの卵巣は、いくつかの北陸の漁港で仕込まれるけど、能登のものが一番人気ですよ。やはり能登の森が豊かだから、海も栄養豊富でいいフグが獲れるんでしょうね。うちのお酒も、山からの地下水で仕込んだ辛口でしっかりとした味ですよ」
上品な能登美人といった雰囲気の女将さんの言葉どおり、キレとコクのしっかりした味わい。冷やもお燗も美味しいにちがいない。
その夜、僕とカメラマン君はフグ毒の恐怖もどこへやらで、こいつをお茶漬けにしてまでたいらげたのである。
度胸のある読者の方々、ぜひ一度、お試しあれ!
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