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メトロガイド世界遺産を訪ねる旅 —ポーランド—>vol.2

世界遺産を訪ねる旅 —ポーランド—

世界遺産を訪ねる旅 —ポーランド—
王宮前広場

春風にのってポーランドへ

ヨーロッパの中心にあるポーランドはEU圏内で6番目に大きな国。自然と豊潤な文化が育んだ13のユネスコ世界遺産が皆さまをお待ちしています。 春からの緑のシーズンには、やわらかな萌黄色の大地が果てしなくひろがります。春の風にそよぐ柳の並木が続く平原で耳を澄ますと、ショパンのマズルカが聞こえてきそう。 爽やかな春から夏は旅のベストシーズンです!

ポーランドは、野原を意味するpoleが語源といわれるように平地の多い国ですが、北西部には氷河期の残した大小の湖が数限りなく続く湖沼地帯があり、また南部国境周辺にはタトリ山地を代表とする高い山々が連なる山岳地帯が広がります。

平坦な大地にまるでクレーターのように湖が続くマズーリ湖沼地帯ではボートやカヤックでの湖めぐりが好評です。また昔から、馬を大切にしているポーランドではどの地方でもお気軽に本格的な乗馬を楽しめます。観光名所めぐりや博物館、美術館めぐりだけではなく、アクティブ派なら登山、サイクリング、スキーをはじめとするウィンタースポーツからゴルフさまざまなスポーツをエンジョイできます。

グルメ派のあなたなら、自然の素材を生かしたポーランドの伝統料理にきっとご満足いただけるでしょう。〈自分スタイルの旅〉を満喫できるポーランドで最高のヴァカンスを楽しんでみませんか?

さて、今回から6回連続で、旅行者に大人気のワルシャワ、クラクフをはじめ13カ所の世界遺産をポーランド政府観光局のスタッフがご紹介いたしますのでお楽しみに!



ワルシャワ歴史地区 Historyczne Centrum Warszawy
ワルシャワ旧市街
ワルシャワ旧市街
北のパリともいわれる美しいワルシャワの町は、戦災により市街地の80パーセント以上が瓦礫と化しました。しかし、市民の熱意によって、建物のひび割れ一 つにいたるまで見事に再現され、昔とまったく変わらない中世の街並みが戻りました。
旧市街にはひとつひとつに特徴がある石造りの建物ならび、旧王宮前の広 場は年間を通じて観光客でにぎわっています。 旧市街の小路へ入ってみましょう。古きよき時代の魅力あふれるワルシャワの雰囲気を感じることができます。旧市街の中心には広場があり、間口の狭い石造り の可憐な建物が並んでいます。作品を売る絵描きたち、観光馬車やおしゃれなカフェが彩りそえている旧市街の広場。石造の建物の1階には、格式あるレストラ ンやカフェ、画廊、みやげ物の店などが入っています。
ワルシャワ広場 ワルシャワ旧市街(遠景)
ワルシャワ旧市街
ワルシャワ旧市街(遠景)
1980年ユネスコ世界遺産に登録されたワルシャワ歴史地区は、例外的な世界遺産といえるでしょう。戦争によって灰燼に帰した町並みが完全な姿で再建され たとはいえ、再建であることに変わりはないからです。第二次世界大戦中に徹底的に破壊されたワルシャワの町は、昔の絵画や町の破壊を予期して人々が描いた スケッチ、写真などをもとにして、レンガのひびに至るまで丹念に修復され、見事に中世の町並みは復活しました。ワルシャワ歴史地区が世界遺産に登録された のは、建物自体の歴史的な価値というよりは、首都再建を願ったポーランド国民の情熱がユネスコによって高く評価されたからでした。建築家や修復専門の技術 者の協力、そして戦後60余年という時間の流れのおかげで、今では歴史的建造物の本来あった部分と再建された部分のちがいはまったくわからなくなっていま す。
ワルシャワ旧市街から見た旧王宮
ワルシャワ旧市街から見た旧王宮
ワルシャワの歴史は、中世にヴィスワ川Wisłaのほとりにあった小さな村落から始まります。ヴィスワ川はポーランド最長の河川で、国の南から北のバルト海までをゆ るやかなS字を描いて流れています。14世紀初めには都市としての権限を授けられた町は、その後は、重要な水路の河畔にあるということで町としての存在価 値が高まって行きました。市街地は外敵を防ぐための防壁で囲まれ、14世紀にレンガ造りの建物がはじめて建てられました。1596年にそれまで首都があっ たクラクフからワルシャワへの遷都が行われ、王宮Zamek Królewskiも16、17世紀を中心に増改築が行われ国王ジグムント3世(1566-1632)の居城になりました。 18世紀後半には、最後のポーランド王スタニスワ・ポニャトフスキ(1732- 1798)によって豪華絢爛な室内装飾がほどこされました。
旧王宮 旧王宮内部
旧王宮
旧王宮内部
1939年、この美しい王宮は空襲を受け、その時に貴重な品々の一部は外部に運び出されました。しかし、王宮自体は1944年にドイツ軍によって完全に破 壊されてしまいました。ワルシャワ市街地の再建は数年にわたりましたが、旧社会主義政権の思惑もあり、王宮の修復が決まったのはやっと1971年になって からのことでした。
【旧王宮の見学】
・4月まで
火曜日〜土曜日 10:00-16:00
日曜日11:00-16:00(日曜日は入館無料) 月曜日休館
(3月22日、23日は復活祭のために休館)3月24日11:00-16:00
・5月から9月まで
火曜日〜土曜日 10:00-18:00 日曜日11:00-18:00
5〜6月の月11:00-1800
7〜9月の月11:00-16:00(7〜9月の月曜日のみ入館無料)
入館は閉館の1時間前までです。
〈入場料金〉
第1ルート 12 zł (6 zł)カッコ内は小人・学生料金
第2ルート 20 zł (13 zł)
常設展   10 zł (5 zł)
コンサート 30 zł (15 zł)

バルバカン
バルバカン
旧市街の北端には15~16世紀に作られたバロック様式の砦「バルバカン」(Barbakan)があります。その先は新市街と呼ばれ、バルバカンから北に延びるフレタ通り16番地(ul.Freta16)にはキュリー夫人の生家である建物の中にキュリー博物館Muzeum Marii Skłodowskiej Curieがあります。

聖十字架教会
ショパンの心臓が納められている記念碑
聖十字架教会
ショパンの心臓が納められている記念碑
さて、旧王宮広場に戻り、南に進んでみましょう。ここからワジェンキ公園まで続く通りはクラクフ郊外通りKrakowskie Przedmieścieと新世界通りNowy Świat。かつての「王の道」であり、宮殿や昔の貴族たちの邸宅、教会など歴史的建築物が並んでいます。ここの建物も9割が戦災を受けました。通り沿いにはショパンの心臓が納められている聖十字架教会、またショパンがパイプオルガンを演奏したことで知られるヴィジトキ教会などがあります。また、歴史上に名を残す著名人や各界で活躍する俊才を輩出したワルシャワ大学もこの通りにあります。さらに南へ行くと通りの名前は新世界通りNowy Światに変わり、近くには、ショパン博物館があるオストログスキ宮殿Zamek Ostrogskichがあります。
ショパン博物館
ショパン博物館
【ショパン博物館】
開館時間 月曜日を除く毎日10:00- 18:00 所在地 ul. Okólnik 1
【ショパン家のサロン】
開館時間 月~金10:00- 14:00 所在地 Warszawa ul. Krakowskie Przedmieście 5

ワジェンキ公園でのピアノ野外コンサート
ワジェンキ公園でのピアノ野外コンサート
さらに南へ行きましょう。左手には首都にある公園としてはヨーロッパ最大のワジェンキ公園Park Łazieńkowskiが見えてきます。この公園にはスタニスワフ・ポニャトフスキ王の夏の離宮ワジェンキ宮殿Pałac Łazieńkowski、別名「水上宮殿」(Pałac na Wodzie)があります。野外コンサートで有名なショパンの像もこの庭園内にあり、その下で行われる野外ピアノコンサートは5月から9月末まで毎週日曜日に開かれて、ワルシャワっ子たちに親しまれています。
ヴィラヌフ宮殿 ヴィラヌフ宮殿内部
ヴィラヌフ宮殿
ヴィラヌフ宮殿内部
〈王の道〉の終点にはヤン3世ソビェスキ王が17世紀に建てたバロック様式のヴィラヌフ宮殿Pałac w Wilanowieがあり、豪華な調度品や装飾にはすっかり目を奪われてしまいます。宮殿内の観光には1時間程度が必要ですが、見事なフランス庭園もお見逃しなく。


アウシュビッツ・ビルケナウ-ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所
アウシュヴィッツ収容所 アウシュヴィッツ 停車場
アウシュヴィッツ収容所
アウシュヴィッツ 停車場
ポーランド語でオシフィエンチムOświęcimというこの町はアウシュヴィッツAuschwitzの名称で世界中に知られています。アウシュヴィッツ第1強制収容所がオシフィエンチム市内に 建設されたのは1940年のことでした。
1940年6月には、ポーランド人政治犯を乗せた最初の移送列車が到着しました。その後の数年で収容所は拡大し、 アウシュヴッツ、アウシュヴィッツ(ビルケナウ)、アウシュヴィッツ(モノヴィッツ)そして近隣には40以上のサブ収容所が作られました。当初の犠 牲者はポーランド人が中心でしたが、その後、捕虜になったソ連兵、ジプシー、その他の国からの収容者が増えてゆきました。犠牲者の数を確定するのが困難で すが、おそらく28カ国の110万人以上に上るといわれます。 かつての収容所の跡には、収容棟と「Arbeit macht frei(働けば自由になる)」の文字を掲げた門が残されています。一部の収容棟内には、大量虐殺(ジェノサイト)という犯罪のおぞましい証拠を集めた展 示品が入っており、ナチスが犠牲者たちから没収した私物、また義手・義足、髪の毛の山などが保管されています。
没収された義足
没収された義足
アウシュヴィッツ収容所は1942年よりヒトラーによるユダヤ人の最終的解決の一環として、ドイツ占領下の国々のユダヤ系市民を大量虐殺する場所と化して ゆきました。この収容所には『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクも一時収容されていたことがあります。また、戦前には長崎で布教活動に携わり、ある 囚人の身代わりとなって亡くなったコルベ神父の終焉の地としても知られています。終戦直前に、ナチスは自分たちの蛮行を隠すためにガス室、死体焼却場の破 壊など、また重要書類の処分を行い、歩ける収容者をドイツ方面へと連行してゆきました。アウシュヴィッツ収容所は1945年1月27日にソ連軍によって解 放されました。1947年、ポーランド国会においてアウシュヴィッツ、ビルケナウ収容所を後世への教訓のために保管することが決定し、アウシュヴィッツ博 物館設立されました。1979年にかつての収容所はユネスコ世界遺産に登録されました。この博物館では日本語を含む各国語でガイドを受けることができ(要 予約)、前世紀最大の「負の遺産」として戦争の悲惨さと愚かさを知るための教育の場となっています。

ポーランド政府観光局
〒160-0023 東京都新宿区西新宿 3丁目4番4号 京王西新宿南ビル 7階
TEL : 03-5908-3808  FAX : 03-5908-3809
Website: www.poland.travel

受付時間 月~金曜日:11:00~13:00 14:00〜17:00
土・日・祝祭日・12/25、26年末年始はお休みです

Keio Nishi Shinjuku South Bldg 7F.,
3-4-4 Nishi Shinjuku, Shinjuku-ku, Tokyo, Japan 160-0023


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