春の足音が…
いや、足跡がみえてくる、そんな季節になりましたね。
卒業式をむかえたり、
来月から社会人になったり、きっとそれぞれに迎える春の風は様々ですよね。
春の私の1つの楽しみはお花見です。イランにもお花見をする習慣はありますし、サクラもあります。けど、やはり日本のサクラのような美しさはないかもしれません。
私は上野に小学生の頃から通っていたのですが、動物園もあるし、アメ横もあるし、公園もあるし大好きで、日本で一番、サクラの美しさを堪能できる場所だと自分では感じています。
ちなみに今日は、アメ横に来ています
アメ横って、市場の活気が感じられて、イランとどこか似ているような...だから好きなのかもしれません。
日本には「花より団子」ということわざがありますよね。
私の国イランではお花見をしながら、シシケバブや茹で玉子や焼きトマトなどをバーベキューのように楽しみながら、バドミントンをしたり、読書をしたり、家庭によっては歌を歌ったり♪和気あいあいです。イランにお酒はありませんが、チャイやコカコーラ、ドゥーグという塩辛い飲むヨーグルトをのみます!!
なので、イランでは…「花よりシシケバブ」になるのかな??
とにかく、家族や仲間と楽しい時間を過ごすのが花見なのです。
今まで、日本の方は仕事が第一で、真面目過ぎる固いイメージをついつい感じていましたが、お花見になると会社の新人社員が早くから場所取りをしたり、普段はスーツをきてビシッとしている上司の皆様が笑顔で楽しんでいる姿、笑顔で酔っぱらいながら歌を歌ったりする陽気な姿をみて、「あっ、やっぱり皆『同じ人間』なんだ」と感じました。
あっ!
でも近年の悪酔いやゴミの後始末の悪さはマナーとして共感しにくい部分もあります。
でも、海外でのサッカーの試合会場で、日本人がゴミ拾いをしている光景をニュースで見て、とても感動しました。
皆が同じ気持ちで心掛けてもらえたら嬉しいです。
イランでのお花見は、子供がいる家庭で、詩を子供に語り継ぐ習慣があります。
特に私が好きな詩があって、
「象の形」
暗い部屋の中に一頭の象がいました。
インド人たちが見せ物にと連れてきた象です。
多くの人がその動物を見にやって来た、
みんなが部屋の暗闇の中へ入って行って、
目で見ることができなかったので
その闇の中で象に触れてみるしかできなかったのです。
ところが、一人の手は象の鼻に触れたため
「この動物は水管のようだ」と言った
もう一人の手は耳に触れたため
象の形が扇のように感じられた
また一人の手はその足に触れたため
象の形は柱のように思われた
また一人の手はその背をなでたため
「象とは王座のようだ」と言ったのです。
こうして話を聞いた人々には
それぞれの人が触った部分のことしか分からなかったのです。
触ったところがそれぞれ別であったため
ある人はそれをアレフと見なして、ある人はまたダールと考えたのです。
一人一人がろうそくを手に持っていたのなら
皆の言葉が違うことはなかったはず、
目が見るものとは手のひらのようなものであって、手のひらは象の体全体には届かない。
今でもこの詩を時々読み返します。
皆さんの地域でも、その土地特有のお花見の習慣が残っているのかもしれません。
自然と、人の心に残る習慣は、ずっと大切に伝えていけたらと思います。
|